「おまえはもう死んでいる」
「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」
子どものころに読んだ漫画の中で、今でも覚えているような名ゼリフはないでしょうか?
あるいは、実生活で本当に使ってみて、周りから白い目で見られたことがある人もいるかも知れません。
(ちなみに私も、「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」のセリフを使ってみたところ、見事にスルーされました…)
4コマにも、読む人の印象に強く残るセリフが数多く存在します。
感動的な場面はもちろん、ときにはギャグシーンにさえドキッとするセリフはあるものです。
ここでは、そんな4コマの名ゼリフの中でも、私が特に大好きな5つのセリフを集めました。
なお、今回ご紹介するセリフは、以前Twitterで「#きらら系名ゼリフ」のハッシュタグを付けてツイートしたものです。
他の方が選ぶ名ゼリフは、「『きらら系名ゼリフ』まとめ」でご確認ください。
※「きらら系名ゼリフ」と言っておきながら、きらら以外の作品も選んでいます。
「人間をなめるな 魔法使い」(宇佐神茜 – 『となりの魔法少女』)
魔法少女のあき、理屈少女の茜、普通少女の圭。
『となりの魔法少女』は、3人の少女がときに衝突しながらも絆を深めていく、心温まるストーリー4コマです。
茜には、事故に遭い昏睡状態になってしまった最愛の弟・夕がいました。
事情を知ったあきは、自分の魔法を使えば彼を救えるのではないかと茜に提案します。
しかし、魔法の原理はあき自身にもよく分かっていません。魔法の力で目覚めたとして、それが本物の夕なのか、あきの頭の中で考えた夕なのか、確かめようがないのです。
壊れたぬいぐるみを治すような調子で話すあきに対し、茜はくだんの言葉を投げかけます。
あきのことを普段、茜は「魔法少女」と呼びます。
「魔法使い」では、まるで童話に登場する「魔女」のようで悪者のイメージがある。愛らしくて思いやりにあふれたあきは「魔法少女」と呼ぶべきだ、と。
あえて「人間」と区別する形で、「魔法使い」という言葉を使う。そのときの茜の気持ち、言われた側のあきの気持ちは、想像するだけで胸が苦しくなります。
その後、あきと茜は仲直りをし、親友と呼べる関係に成長しますが、このシーンを読んだときの衝撃は今も忘れられません。
「魔法で作られたものは本物にはならない」。この作品の最も重要なテーマを表すセリフです。
「いっしょうゆるさないって なあに?」「それはね いつかあの子達の中で風化しても キミは忘れるなってことさ」(サンジュ、クロ – 『棺担ぎのクロ。〜懐中旅話〜』)
大きな棺桶を背負った少女・クロが、「黒い魔女」を探して各地を旅するファンタジー4コマ、『棺担ぎのクロ。〜懐中旅話〜』。
道中でクロは、「はかせ」の実験体だというニジュクとサンジュに出会い、2人を旅に連れていくことにしました。
ニジュクとサンジュには様々な特殊能力がある一方、普通の人が持っているはずのものを持っていません。
その一つが、痛覚。特にサンジュは好奇心が強い性格のため、気に入ったものを「ぎゅっと」握りしめる癖があります。
旅の途中に立ち寄った町で仲良くなった女の子に、サンジュは仔猫を見せてもらいます。
本人はただ、可愛い動物に触りたかっただけなのでしょう。しかし、サンジュは仔猫の脚をもぎ取ってしまいます。
町を去るとき、女の子に言われた言葉と、その意味が分からないサンジュにクロが伝えた言葉が、冒頭のセリフです。
クロの説得の甲斐もあり、サンジュは好きなものを「ぎゅっと」握りすぎてはいけないことを理解します。
いつか、女の子もサンジュを許してくれる日が来るかも知れません。幼いころの哀しい思い出として、次第に記憶から薄れていくかも知れません。
ですが、サンジュが犯した過ちは消えません。
謝り続ける必要はない。サンジュはただ、自分がしたことの意味を考え続けなければいけないのです。
『メロ^3!』は、オタク男子の本太がなぜか女の子たち3人に好かれてしまうラブコメ4コマです。
タイトルの「^3」は3乗の意味で、「メロメロメロ」と読みます。
ヒロインの1人、ころなが本太を好きな理由は、死んでしまったコロスケという愛犬に似ているから。
もちろん、本太を犬扱いしているわけではありません。確かに本太とコロスケは見た目や性格が良く似ていて、ころなが本太を好きになってしまうのも理解できます。
それでもと、同じく本太に好意を寄せる木ノ子は、ころなに問いかけます。なお、コマに写っているのはころなで、木ノ子は表紙画像の真ん中にいる黒髪の子です。
かくいう私も、「誰か」の代わりに好きになったキャラクターが何人かいます。
『ARIA』のアリスの代わりに『ご注文はうさぎですか?』のチノだったり、『咲-Saki-』の久の代わりに『スロウスタート』の栄依子だったり…。
似ているからというのは、何かを好きになるきっかけとしてはむしろ良いと思います。
旅行であれば、イタリアのヴェネツィアが好きだから、水の都と呼ばれる他の場所も訪れてみる。その動機を節操がないと考える人はいないでしょう。
「誰か」の代わりで終わらせず、「誰か」にはない魅力を新しく見つけようとする姿勢が大切なのだと、木ノ子のセリフは教えてくれているのかもしれません。
『まろまゆ』は、アニメ化もされた人気作『ぱにぽに』のスピンオフ作品です。
本編では影の薄いキャラとしていじられていたくるみが、喫茶店エトワールでアルバイトをする姿が描かれています。
オタクの店長は、親から継いだエトワールを萌え喫茶にしようとあれこれ画策します。
しかし、看板娘のくるみが地味で、口も悪くていまいち萌えないせいで、一向に計画は進みません。
萌え喫茶にはほど遠く、常連客も変な人ばかりですが、それでもなんとか喫茶店を続けられています。
今のままでも別にいいんじゃないか…。店長がそう思いかけたとき、ひょっこり現れた貧乏神の妙子がこの言葉を突きつけます。
繰り返しになりますが、かくいう私も「物事に熱中できない」タイプで、学生時代よりもその傾向が強くなっている気がします。
趣味である漫画でさえ、新しい作品は何かきっかけがなければ読もうとしなかったり、読む前から「これは合わなそうだ」と決めつけてしまったり。
ただ、それは最近の漫画がつまらなくなったからなのでしょうか。それとも、自分の感性が古くなったからなのでしょうか。
今でもときどき、ふとこのセリフを思い出します。
個人ブログとはいえ、レビューブログを続けている以上は、面白い作品へのアンテナは常に立てておきたい。
知らない、読まない、観ないというのは、決して自慢げに言うことではないと思うのです。
春菜、夏希、秋乃、冬香の4姉妹の日常を描いた作品、『四季おりおりっ!』。
タイトルや姉妹の名前からも連想できるように、季節の雑学に関する話が多く収録されているのが特徴です。
このセリフが登場するのは、物語の終盤。次女・夏希が自身の将来の夢を語ったことに対する、三女・秋乃の返答です。
ただ、このコマだけを引用しても、「よくあるセリフじゃない?」と思われてしまうかも知れません。
無粋ですが、これがなぜ名ゼリフなのかを説明させてもらえたらと思います。
昔の秋乃は、いつも夏希の後ろをついて歩く、いわゆる「金魚のフン」でした。
現在の高校に入ったのも、夏希と一緒の学校に通いたかったから。
妹に慕われて悪い気はしないとはいえ、夏希はそんな秋乃を心配していました。
最初は将来の夢を話そうとしなかったのも、言えば秋乃が真似をしてしまう、自分のせいで秋乃の未来を縛りたくないと考えたからです。
しかし、多くの出会いや体験を経て、秋乃は立派に成長していました。
今でも、秋乃にとって夏希は大好きなお姉ちゃん。けれど今の彼女が歩く場所は、夏希の後ろではなく隣です。
名前は同じでも、同じ季節は一つもない。去年は葉しか出なかった木が、今年は花を咲かせることもある。
この作品を通して秋乃が歩いてきた道程を示す、紛うことなき名ゼリフです。