こんにちは。「まっしろライター」のましろ(@mashirog)です。
先日、「萌えまんがの部屋」様で、『ゆるキャン△』、というよりあfろ先生の特集記事を書かせていただきました。
アニメの放送中に書けなかったのは反省点ですが、逆に「2期を心待ちにする方をターゲットにする」という方向性にできたのはよかったかもしれません。弱みを強みに変える、というか。
しかしこの記事、ひとつだけ心残りがあります。
あfろ先生のことを書いているのに、『シロクマと不明局』にほとんど触れられていない。
『魔法少女ほむら☆たむら~平行世界がいつも平行であるとは限らないのだ。~』は、まどマギのスピンオフなので少し事情が違うとしても、あfろ先生を語る上で『シロクマと不明局』は避けて通れません。
そこで今回は、『シロクマと不明局』がどのような作品だったのかと、あfろ先生はいかにして『シロクマと不明局』から『ゆるキャン△』に辿り着いたのかについて、自分なりの考えを書いてみたいと思います。
ただし、ネタバレはなるべく書きません。この作品、ネタバレしてしまうと台無しなので……。
あfろ先生が考える死後の世界
主人公の熊本チエコは、どこにでもいる普通の女の子。
今日は高校の入学式らしく、新生活に期待を膨らませながら家を飛び出します。
よくある、きらら4コマの第1話。きっとこれから、新しい友達が3・4人できたり、あまり活動していない部活に入部してお茶会を開いたりして、ゆるふわな学園生活を送るのでしょう。
引用:『シロクマと不明局』1巻10ページ
……と思いきや、2ページ目でいきなり死亡しまいます。
なぜか地獄に連れて行かれそうになりつつも、流れ着いたのは、天国と地獄の狭間にある世界「煉獄」。
そこでチエコは、「不明局」と呼ばれる、住所が分からなくなった人に手紙を届ける集配局で働くことになります。
これが、『シロクマと不明局』の大ざっぱなあらすじ。
第1巻のあとがきによると、あfろ先生が考える「死後の世界」を描いたものであるとのこと。
前作『月曜日の空飛ぶオレンジ。』も相当シュールな作品でしたが、この作品は死後の世界が舞台ということもあって、さらにやりたい放題です。
具体的には、聖徳太子がナポレオンとコンビを組んで漫才師になっていたり、太眉幼女のマリー・アントワネットが荒野でスイカを売っていたり。
樋口一葉は、生前のスキルを活かしてマルチな放送作家として生計を立てています。死んでいるのに生計とはこれいかに。
引用:『シロクマと不明局』1巻92ページ
ちなみに煉獄には、表情に乏しい女性たちが集まる「ジト目会」という会があるそうです。
『ゆるキャン△』のリンや、なでしこのお姉さんの桜も、亡くなったあとはジト目会に入会して、温泉ツアーに出かけるのかもしれません。
「記憶」と「絆」
あfろ先生の作品には、シュールなギャグがあるかと思いきや、そうした中に重要な伏線が隠されていたり、読んでいてグッとくるようなエピソードもあったりする。とても一言で言い表すことはできません。
しかし、すべての作品に共通する、核となる要素はあると思います。ありふれた言葉ですが、それは「絆」。
そこにもうひとつ、別の要素が加わることで、あfろ先生の作品は形作られているのです。
例えば、『ゆるキャン△』なら、「場所」。
リンたちは、みんなでグループキャンプをすることもあるけれど、ひとりや少人数でもキャンプをする。
そのときも、LINEで頻繁に連絡を取り合って、キャンプの楽しさや美しい景色を共有する。離れていても、「きっと、そらでつながってる」。
引用:『シロクマと不明局』2巻61ページ
そして、『シロクマと不明局』なら、「記憶」。
煉獄で偶然再会したチエコの祖母は、チエコのことを忘れてしまっていました。
二度と会えないのだからと、友達や家族との思い出を無理やり忘れようとしていたチエコは、そのとき初めて「大切な人に忘れられる」怖さを知ります。
生前の記憶は、死後の世界で暮らすうちに少しずつ薄れていく。生まれ変わるころには、ほとんど消え去ってしまう。
けれど、生きていたころに培った絆は決して切れたりしない。チエコは、「友達」として、祖母との関係をやり直すことに決めました。
きっとふたりは、すぐに仲良くなれるでしょう。大好きなおばあちゃんと、かわいい孫だったのですから。
引用:『シロクマと不明局』2巻55ページ
一方、『シロクマと不明局』の登場人物の中には、生前の記憶がまったくない人もいます。
忘れてしまうのは仕方ないとしても、最初から何も覚えていないのは普通ありえない。
それが誰なのかを書くだけでもネタバレになってしまうので、詳細は控えます。単行本でお確かめください。
リンとなでしこは、ソウルメイト?
『シロクマと不明局』の中盤、チエコは「赤い糸」が見える力に目覚めます。
「生まれ変わっても切れない魂の繋がり」、「互いの人生に作用しあう二人」。赤い糸で繋がった人同士を、ソウルメイトと呼ぶそうです。
前述の「記憶」とともに、この力が物語の重要なキーになるのですが……、ネタバレになるので詳細は控えます。
こればっかりな気もしますが、ネタバレすると面白さが半減してしまう作品なので、お許しください。
引用:『シロクマと不明局』2巻38ページ
このソウルメイトという考え方。もちろん言葉としては出てこないものの、『ゆるキャン△』にも受け継がれていると思います。
なでしこは、リンとの出会いによってキャンプを始めるようになる。リンも、なでしことの交流を通じて、誰かとキャンプすることの楽しさを知っていく。
なでしこが本栖湖のキャンプ場まで自転車をこいでやって来たのは、引っ越ししてくるときの車の中で居眠りして、富士山を見逃してしまったからでした。
そのとき居眠りしていなかったら、なでしこと出会わなかったのだろうか、と考えるリン。しかし、同じ高校にいる以上、いつか別の形でめぐりあう運命にあったはずです。
見えませんか? リンとなでしこの間に、赤い糸。
日常マンガが始まる前の物語
『シロクマと不明局』に関する他のサイトのレビューを読んでいたところ、「このマンガがすごい!WEB」の記事の「萌え4コマがはじまるまでの物語」という言葉がすごくしっくり来ました。
冒頭にも書いた通り、チエコは第1話の2ページ目で死んでしまい、煉獄の世界へ行くことになります。
もし死んでいなかったら、『ゆるキャン△』のような、平和な日常を過ごしていたはず。
引用:『シロクマと不明局』1巻9ページ
この次のページで死亡します。
もしも『シロクマと不明局』が「萌え4コマが始まるまでの物語」だったとすると、あfろ先生はこの作品の次は日常マンガ(=『ゆるキャン△』)にすることを、早い段階で決めていたのではないでしょうか。
あるいは、『月曜日の空飛ぶオレンジ。』の次回作を日常マンガにする予定だったけれど、何らかの事情で『シロクマと不明局』を挟むことになったか。だからチエコは、日常マンガを始める直前で煉獄に落ちた。
現在まんがタイムきららキャラットで連載中の『mono』も、『ゆるキャン△』と同じ山梨県の女子高生たちが主人公の部活ものです。
「へやキャン△」のような番外編を除いて、あfろ先生が『シロクマと不明局』みたいなシュールな世界観の作品を描くことは、今後ないのではないかと思います。
引用:『シロクマと不明局』2巻81ページ
『シロクマと不明局』の中で、得意な洋服作りを仕事にした方がいいのではと言われたマリー(マリー・アントワネット)が、「好きなことを仕事にする」難しさを語るシーンがありました。
幼女キャラが急に大人っぽいことを言い出すというギャグですが、うがった見方をすると、あfろ先生の思いをマリーに代弁させたとも考えられる。
『月曜日の空飛ぶオレンジ。』や『シロクマと不明局』は、4コマ界に大きな爪痕を残しました。しかし、あまりにも難解すぎて、万人受けしなかったのも事実。
マンガ家として生きていくために、あfろ先生は、自身が最も得意とする作風を封印したのかもしれません。
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おわりに
- 『シロクマと不明局』は、「記憶」と「絆」の物語
- 『シロクマと不明局』の「ソウルメイト」という概念は、『ゆるキャン△』にも受け継がれている
- 『シロクマと不明局』が「日常マンガが始まる前の物語」だったとすると、『ゆるキャン△』以降の作風の変化は既定路線だったのではないか
2015年に完結巻の2巻を読んで以来、『シロクマと不明局』って結局何だったのか? とずっと疑問だったのですが、こうして文章に起こすことで、ようやく考えがまとまった気がします。
もちろん、私はこう思うというだけで、この解釈が正しいかは分かりません。思い切り外している可能性もあります。
機会があれば、この記事でも言及できなかった『魔法少女ほむら☆たむら~平行世界がいつも平行であるとは限らないのだ。~』についても書いてみたいと思います。
単なるまどマギのスピンオフじゃなくて、むしろ「ほむたむ」こそがあfろ作品の源流じゃないかとも思うんですよね。まどマギ→ほむたむ→シロクマ→ゆるキャン△、といった具合に……。