『グレーゾーン』という4コママンガがあった。
2012年、「まんがタイムきららMAX」に1話だけ掲載された、4224さんの読切だ。
4コマには必須であるはずの「枠」を一切描かず、視線誘導だけで4コマを表現した実験作で、ファンの間ではいまなお「伝説の読切」として語り継がれている。
この作品について書くとそれだけで1本ぶんの記事になってしまうため、詳しく知りたい人は以下の記事を参照されたい。
そして、『グレーゾーン』に興味がある人は、ぜひ塀さんのマンガも読んでみてほしい。
作者のデビュー作『たらちねパラドクス』にも、『グレーゾーン』を彷彿とさせるテクニックが随所に見られ、実際に大きく影響を受けたことを自身のTwitterでも公言している。
引用:『月のテネメント』(「まんが4コマぱれっと」2017年2月号37ページ)
その塀さんの最新作、『月のテネメント』の単行本が、6月22日に発売された。
巻数表記はなく、「まんが4コマぱれっと」での連載もすでに終了しているため、これが完結巻。
そして、当作品が、塀さんが描く最後の4コママンガになる。
コーヒーともんじゃの香りがただよう街で
祖母の代わりに大家代行を務める小学生・川久保かわせみは、家賃を滞納し続けているという三宅三和土(みやけ・たたき)のもとを訪れる。
借家の長屋でたたきが営む喫茶店「月ノ岬」に入り、かわせみは彼女が家賃を払わない(払えない)理由を理解した。
「レトロ」といえば聞こえはいいが、ボロくて汚い店内。こんな店にわざわざ来る物好きは少ないだろう。
けれど、コーヒーはおいしいし、2階から臨む運河の景色も抜群。加えて、店長のたたきは女子高生。商品がないわけではない。
家賃を回収するため、経営センスがゼロのたたきに代わり、かわせみは「月ノ岬」のコンサルを請け負うことになる。
引用:『月のテネメント』(「まんが4コマぱれっと」2017年2月号44ページ)
東京は月島を舞台にした、読んでいて作中の「におい」が伝わってくるような作品。
挽きたてのコーヒー豆の甘い香り。もんじゃ焼きが鉄板で焼けるにおい。東京湾から流れてくる潮風。あと……、女の子のいいにおい。
彼女たちのバリエーション豊かな服装、フェティシズムを刺激する仕草も、本作の見どころのひとつだろう。
引用:『月のテネメント』1巻28ページ
女子小学生がドリップしたコーヒー(意味深)。
去る純喫茶、そして4コマ
冒頭にも書いた通り、塀さんは、『月のテネメント』が商業で描く最後の4コママンガだと発表している。
4コマ作家がストーリーマンガに転身すること自体は、別に珍しくない。4コマはあくまで枠の形であって、手段でしかない。
しかし、この記事でわざわざそれを強調するのは、塀さんが「4コマとは何か?」を探求し続けていたマンガ家だったからだ。
安直な解釈だが、作者は本作のテーマである「月島」と「コーヒー」に、自身の「4コマ」との惜別を投影させたのではないだろうか。
月島では、高層マンションの建設ラッシュが進行中で、下町情緒を感じさせる街並みは徐々に少なくなっている。
また、いまの時代、コンビニに行けば100円で淹れたてのコーヒーが飲める。
かわせみのアドバイスによって、長屋カフェ「月ノ岬」の経営状態は少しずつ上向いていく。しかし、世の中の流れを変えるには至らない。
そもそも、「おいしいコーヒーをお客さまに提供する」のが目的なら、「月島」という場所や、「純喫茶」という形態にこだわる意味もない。
自分がやっているのは、ただの自己満足なのか。物語の終盤、たたきは大きな選択を迫られる。
引用:『月のテネメント』1巻27ページ
かわせみが団扇を渡すシーンと、その後で団扇を返してもらうシーンが1コマで表現されている。コマの配置が均等な4コマならではの演出だろう。
『月のテネメント』では、4コマの特徴を活かした、あるいは逆手に取った独創的な演出がいくつか盛り込まれていた。
だが、『たらちねパラドクス』に比べると少なく、前作を知っている人は「塀さんの4コマにしては割と普通だな?」と感じたかもしれない。
そうした演出は、いわば一発芸のようなもの。読者としてはあった方がうれしいものの、絶対に必要なわけではない。
そして、4コママンガとして本作を読んでいくと、そもそも『月のテネメント』は4コマである必然性があったのか?――ストーリーマンガの方が面白くなったのではないか? という問題に行きつく。
「4コマ」で描く意味って、何だろう?
マンガのフォーマットとしての「4コマ」の短所は、いくつか考えられる。
- 4コマごとに何らかの「区切り」(≒「オチ」)が求められるため、展開がぶつ切れになりがち
- コマが小さいので、キャラの全身が描けない。バストアップの構図が多くなる
- その割に、1ページに8コマ描かないといけないので、制作コストが高い
特に3つ目の制作コストは、塀さんの作品のように通常の4コマと違う演出を加えようとすると、一気に跳ね上がる。
本作は、後半からストーリー重視のシリアスな展開にシフトし、それに伴い独創的な演出も減っていった。制作にかけられる時間は同じなのだから、何かを増やせば何かを減らすしかない。
さらに、より物語性の強い作品を描こうとすれば、4コマのフォーマットそのものが制約になりうる。
今後、商業で4コマの仕事をしないという作者の心中は想像するしかないが、こうした点が理由のひとつである可能性はあるだろう。
引用:『月のテネメント』1巻44ページ
コマを間取り図に見立てた演出。「4コマ」と呼べるのか迷うところだが面白い。
4コマを描くのをやめ、ストーリーマンガに挑戦する作者の決断を、一読者としても尊重したい。
そして同時に、これからも4コマを描き続けていく方々には、より一層の声援を送りたい。
大変なのは分かっている。だけど、純喫茶でコーヒーを飲みたい人は必ずいるはずだ。少なくとも、ここにひとり。